脱力日記(5)体の脱力を目指すうちに、心の力みに気づく
こんにちは。
美爽律整体アンリーシュ院長 澄田です。
脱力の感覚を得るためにしていることは
スワイショウ(腕振り) 5分
タントウコウ(站椿功:立つ)10分
動く(10分)
座瞑想 10分
これを
できるだけゆっくり動かす
均一のスピードで動かす
体を覆う皮膚が均一の張りを保ちながら動かす
体が動きたいように動かす
というのが毎日のメニュー。
毎日同じことを続けているうちに
(同じことをつ受けているからこそ)
日々小さな違いに気づくようになり
いつしか
力みを抜いて動けば
身体はこんなに
スムーズに、軽く、楽に
まとまりをもって
つながりを感じながら
動けるのかぁ!
これまで体の中の力みが
どれだけ自然な動きを妨げていたか
ということを痛感したのですが
これは同時に
心にも言えることでは?
と気づきました。
でも、だって、どうせ、
無理に決まってる
あるいは
~ねばならない、~すべき、など
ねばべき思考
無意識に使っていませんか?
これらの言葉は
心がスムーズに動こうとするのを
せき止めてしまう言葉です。
自分が自分らしくあろうとするのを
みずから縛ってしまう言葉。
そして、これらの言葉は
心の中の「力み、抵抗」そのものだと
と気づいたのです。
とっても大きな気づきでした。
体に起こることは心にも起こる
心に起こることは体にも起こる
ということは
自分を縛ろうとする心の動きは
体の力みを抜くことで
緩和されていくのでは?と
思ったのです。
啓発セミナーや心理学では
「そういう思考から抜け出すには?」など、
考え方そのものを
直接どうにかしようとしますが
体に刻み込まれてそれが反応しているものは
思考でどうにかなるものではないのです。
もちろんある程度はできますが
体に「力み」として残っているものには
アプローチできません。
それよりも
体の無自覚な緊張、力み、抵抗を
解消する方が
確実だし、より本質的だと
感じるのです。
というのも、脱力がすすむと
「どーでもよくなってくる」ことが
増えるから。
これまでなぜあんなに
気にしていたのだろう
という小さなこだわりが
本当に気に引っかからなくなるのです。
もちろん
すべてがどうでもいい、
というわけではありません。
脱力と言っても
全部グニャグニャではありません。
自分の芯になる部分は
残しつつ、それを常に感じつつ
その周りをゆるめて動いていきます。
なので、自分の芯の部分
つまり「譲れない部分」は
はっきりと認識できる。
それ以外は
流すように、いなすように
取り扱うことができる。
たとえるなら
道でちょっと肩が当たっただけで
いちゃもんつけてくる人がいますよね。
体全身が力みまくっています。
そうではなくて
当たる瞬間にフッと肩をいなす、
でも自分の芯はブレていない。
相手からしたら
「人にぶつかった気がしたけど
気のせいだったか?」
自分に向かってくるものに
いちいち目くじら立てて
毎回全力で立ち向かうかわりに
そんなふうにいなせたら
心も体も
楽だと思いませんか?
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